新潟県中越地震サバイバル記録

1週間被災者生活
めざせ! サバイバー芸人


お前かーーーっ! お前がいきり勃ってプルプル来たのが原因かーーーっ !!

 まさか自分の人生で、大規模災害の被災者なんてのが待ち受けてるとは 思いませんでしたが、まあそれはそれでこうしてHP用のコンテンツには 恰好のネタ。芸能界屈指のサバイバー芸人、よゐこ濱口優に負けない ド根性で生き抜くです。

これはオレと地球との真剣勝負や!
やったる! 生き抜いたるどー!!


1日目…10月23日(土)

(この日のわたなべメモ)
「サイフ、時計発見」「夕食…オニギリ(余り物)」

 まず1日目なんかこんなもんです。とにかくこの日、「ついにHG−UC  Gアーマーを手に入れたぞ! うおおおおおおっ!!」っと狂四郎ネタ をぶちかますつもりでいたんですがね。
 ともあれ運命の17時56分、この日、HPの更新でトップページに載せる つもりで「SEEDデス様」の放送が始まるのを待ちながらGアーマー 作ってたら、いきなり来ましたよ来たんですよ、 ドーーーン!!と。

 1回目の地震で、まず部屋中のビデオだのプラモの箱だの本だのを 積み上げた棚という棚がすべて、激しい揺れと共に崩れ落ちました。 そして同時に停電…部屋の電気が消え、日も沈んだ闇の中、さてそのとき ガンプラ好き中年はどうしたかというと…衝撃でメガネが何処かへ 吹っ飛んだのにも気付かず呆然としていました。
 しかし、ふとしばらくすると部屋の電気が再点灯、TBS系にチャンネル を合わせたままのテレビも点きました。よし、これで「SEEDデス様」が 見れる! と、思ったら更なる地震が…。

 再び電気も消え、真っ暗になった部屋の中、とにかくどうしもんかのーと 不思議に冷静になってる自分がいました。とにかくまあ、変に自分の想像を 超える事態が起こると、どうやら人間、パニックを起こす余裕もなくなる みたいです。まあまずは、家族の無事を確認しなければならないでしょう。 とにかく、ベッドに座ったままの自分の身体に覆いかぶさった、倒れた 棚のいくつかを跳ね上げるための気合注入。そして家族に自分の無事を 知らせるための第一声を声高に上げました。 「よっこらしょーーーっと!」

 とにかく、あちこちモノが崩れ落ちた二階から、もう何がなんだか判らない モノをガッタガッタ踏み潰しつつ下階へと向かいます。まずは自分の部屋に いた母親の無事を確認。と、そこへ来ちゃったんですよ三度目が。流石に 悲鳴を上げる母親の背中を庇いつつ、兄の無事も確認して、とにかく 家族全員、着の身着のままで家の外へと脱出です。

 ともかく町内のほぼ全員が、家の裏の慈眼寺とその敷地内の小千谷幼稚園 前の広場に集合です。何度かの余震を警戒しつつ、ともかく家に再び侵入。 上着、懐中電灯、以前もらい物でもらって、風呂場に放置していた防適 ラジオなどをゲット。そしてとにかくメガネを探さなければならず、借り物の 懐中電灯を手に自分の部屋に再び足を踏み入れます。やはり何処に吹っ飛んだ のかメガネは見つからないものの、カード類などが入ったサイフと、愛用の メモ帖、そして 腕時計は発見しました。近視ゆえ、ソフトフォーカスの視界の中、まずは これに勇気付けられました。情報から断絶された状況にて、それでも、 今確実に時を刻んでいる、自分が確実に動いている時間軸の中にいるという 自分の存在をきちんと確認できるアイテム を手に入れたのは物凄く心強い。
 とにかく小さな余震も何度か続き、 いまだ危険な状況の中ではもはやこれ以上家の中にいることは許されません。 厚着を着込んで、どうにか無事だった車の中に退避。店舗である自宅から 持ち出した、売り物のオニギリを夕食に頬張り、落ち着いたところで その足で、歩いて10分の職場の状況を確認に走ります。週末とはいえ、 何人かの職員はまだ職場の中にいたはず。暗闇と化した町中を、懐中電灯 の灯りを頼りに職場に向かいます。なんとかたどり着いてみると、 まず職場に残っていた全員が車の中に避難しているのを確認しました。 全員が今夜は車の中で待機するとのこと。ちなみに、ちょっとだけ自慢話。 非番の職員で真っ先に職場に駆けつけ、残った人間と連絡を取ったのは 自分が真っ先でした(近場に住んでる人間として当然なんですが)。
 家の車に戻り、ラジオで現況確認に耳を向けつつ1日目はここまで。


2日目…10月24日(日)


震災翌日、マイ部屋の惨状。

(この日のわたなべメモ)
「デジカメ、予備メガネ、小銭入れ発見」「朝…パン(余り物)、 昼…弁当(余り物)、夜…オニギリ2個(近所の人の炊き出し)、ミソ漬け」
「市内散策、デジカメ撮影」

 震災2日目。まず成すべきことは何か? 親に断りを入れた上で 店からペットボトル入りのお茶やポテチ、ポッキー等できるだけ 腹に溜まりそうな物を持って職場に差し入れです。

 またも店の余り物で食事を済ませ、ラジオから流れる被災状況を気に しつつ、いまだ電気の止まった我が家へ。今度こそ吹っ飛んだメガネを 見つけるべく部屋へと向かいますが、何故か柄が折れたために5年ぐらい前に 買い換えた古いほうのメガネを発見。まあソフトフォーカスに見えていた 視界がくっきりしてきただけでも現状を生き抜く力は沸いてくるです。 他にデジカメと小銭入れを発見し、さらに…、


明日への勇気!

 ドリキャス版及びPS2版「Kanon」及び「AIR」発掘! これ さえあれば何があっても生きていけます! そして…、


不死身の挑戦者!

 ごらん下さい! パーツの欠損もキズも何もなし! たしかにテレビ の棚の上にあり、テレビと共に崩れ落ちたはずが、まったくの無傷の状態で 見つかりましたです!! なんでしょうねえ…涙が出るとか以前に、 これほど自分が作ったものから勇気をもらえるとは思わなかった。 「俺はまだ死んでねえ!」「お前はまだやれるぞ!」「俺は…お前と一緒に 戦える!」

 そっと、今後余震が来ても大丈夫な位置に置き、サルベージしたデジカメ を手に部屋を後にします。


不敵な面構え(震災翌日)

   


地球が起こした家庭内暴力の嵐の後。

 幸いなことに、ウチは新築してから10年経ってない家だったので、震度 6強という震度にも無事耐えましたです。そして、とりあえず店の中を 片付けられるだけ片付け(酒屋なんでビン類はもう仕方ないけど)、 棚から落ちつつも残った缶ジュース、カップラーメン、タバコ等を 店先になるべく集め… 商売再開です。

 ここで商売を始めると、さすがにカップラーメンが飛ぶように売れる!  雑貨品の乾電池も、うちで非常用に使うのにキープした分を除いて あっという間に売り切れ。いやまあ、災害特需というか 商売繁盛ではありました。

 もちろん家の中はもう画像のとおりグッチャグチャ。商売再開につき 後片付けは二の次です。でもまあ、


うわ。

 ここに比べればいいかなーと。

 なんかニュース映像とかでかなり有名になった建物ですが、マジで 元々れっきとした二階建ての家だったのですよ。マジでわっしん 家から50メートル離れてないですよ。もう廃業してたんだけど、元はフロ 屋でして、昔は結構通ったりしておりました。こうして、自分が知り 尽くしていた場所がこんな形で失われて、なんとも震災に対する憤りが 沸いてきたりするのですな。

   

   


破壊の爪痕あれこれ。

 あああ…ご近所の仁王様が(涙)。仁王様は倒れ、うちのザンサイバーは 生き残った。まさか仁王様に込められた魂がうちの模型に憑依したりした のでしょうか?

 ジャスコも御覧のとおり、新しく建設した店の割になんて安普請。話に よると中は天井が崩れ落ちてるとか…まあここで人が死んだなんて 話は聞かないのでたぶんガセでしょうけど、ここがなくなると、うちから 歩いてトランスフォーマー買いにいけるところがなくなるです(泣)。

(夜のわたなべメモ)
「夜8時半、救援物資届く」「ヤマザキ ハチミツくるみパン」
「無銘メーカー、ペット茶」

 とりあえずの避難所、小千谷幼稚園に初めて市からの救援物資が 届きました。メニュー的には安っぽいけど、こんなんでも食料の心配は なさそうなあたりに安堵を覚えます。
 この日は昨日に引き続き車にて就寝。当然大して寝られやしませんが。


3日目…10月25日(月)

(この日のわたなべメモ)
「朝…パン(余り物)」、「今生活初ウンコ」

 被災者生活3日目。 とりあえず、連日のテレビ中継ですっかり有名になった、大規模 避難所となっている近所の小千谷小学校。そこに隣接する市民図書館の トイレが使用可能なのが判りました。ただし水道は未だ復旧しておりません。 んじゃどうするのかというと…小学校のプールからバケツで水を汲み、 えっちらおっちらトイレまで水を運んで、用を足した後ザーッ、です。 あー、この生活初めて出るものが出たというか、3日も出なかった分 すっかりガチガチだよ。

(わたなべメモ)
「朝、スーパーの買い物袋目撃」、「棚落ち商品、まとめて200円売情報 ゲット! ならびでオバハンと罵りあい」

 何が起こったのか、判りやすいメモだ(苦笑)。ナニがどうしたのか 一応説明すると、朝、とにかく家人用の食料を確保すべく商店街に 出向いたら、見慣れたスーパーの買い物を下げた方々の姿が。 聞けば、そのスーパーが店の裏にて、棚から落ちた食料品(カップ ラーメン、みかん等)をひと袋200円で販売しているとのこと! 喜び勇んで その店の裏へと走り、さっそく買い物を待つ人の列に並んだら、自転車から 降りたばかりのどっかのオバハンがいきなりわっしの横に並び、どけこの デブとばかりぐいぐい横から押してくる。もちろん列は1列。そんな理不尽な 割り込みに屈する必要はまったく思わず、デブな巨体を生かしてしばらく そのオバハンの横押しに対し不動モードでいたら、そのオバハンがブチキレ て叫んだひと言。 「こっちが先に来たのに、なんで後ろに並ばないんですか!」

 …つまりオバハンの主張することにゃ、このスーパーの敷地に自転車で 先に入ったのは自分だ。なのに後から着たお前が何で自分より先に並ぶんだ とのこと。
「無敵超人ザンボット3」をリアルタイムで見た世代として、こうしてエゴを 剥き出しにする被災者がどれだけ醜いかというのは身に染みてます。 しかし被災して家族の食べ物を求めて走り回ってるのはこっちだって同じです 。さすがに自分も、ブチキレて怒鳴り返して愚民なさい。 「先に並んだのはこっちでしょう! こっちだって余程さっきから怒鳴り たかったですよ!」。…この時点で、このオバハンと同レベルの 醜い被災者に自分もなってしまったのは悲しいですが、ここは 先に並んだほうが絶対悪人です。さりげなく、「そんなに食い物 欲しけりゃ手前ェにめぐんでやらあ、ケッ腐れ乞食が」と心の中で毒づいて 後ろに一歩下がっておきました。 しかし、ここで後ろから「まあまあ、お腹空いてるのはみんな同じですから …」と、後に並んだ方々のなだめる声が 自分にだけ集中してきます。他人から見れば、間違いなく自分が このオバハンをぶん殴ると見えたようで…。とりあえずなだめの言葉を 下さった方々に「いえこちらこそ、不愉快な思いをさせてすみませんでした」 と、自分の前にて まったく後ろを振り向かないでいるオバハンの分まで謝るハメに。

 苦労して手に入れた食料のうち、みかんは大して旨くもなく、ベーコンは その日のうちに冷蔵庫(電気なし、ただの暗所保存)にブチこんで まだ料理もしてません…。


 さて、時間はそろそろ9時半。月曜ということもあり、思いっきり 重役出勤ながら職場の様子見のつもりで出勤です。
 自分の仕事は、一応通信や荷物の配送などを司るところなのですが、 働いてる! みんな既に働いてる! 職場にぞろぞろ集まり始めた 荷物を前に、薄汚れた私服や先週から洗濯してないっぽい制服のワイシャツ 姿やらで、それでも集まった荷物を被災した市民の皆さんにお届けするべく 働き始めております!!
 まずは、さすがに全員という訳には行かないけれど、それでも配送業務 についてはもう本日より通常どおり開始です。明日以降は窓口も開設 とのこと。ああ…なんだかなあ、日頃リーマン根性で、大して面白みもなく 働いてる職場が、 やけに誇りに思えるのは何故でしょう? 自分も、道路が陥没 したりで車が使えないため、手押し車に荷物を載せ、市役所まで 職場に届いた救援物資を運んだり、みんなの昼飯のカップラーメン用の お湯を沸かしたり、日頃内勤として微力ながらも業務運行の一助を 担うです。

 さてこうして働いてみて、少しは被災復興のために役立つことは できたのでしょうか? しばらくは長丁場で現在の体制は続くでしょうが、 まあ、こんな状況だからこそ、少しは地元の役に立つ仕事に就けていたのは 良かったのかも。

「ピンチの時助けにきてくれるヒーローなんていない。だから、 自分がヒーローになってみんなを守るしかないだろ!」

 仮面ライダーブレイドはいいこと言っておりました。少なくとも、 こういう状況に陥ったとき、ひとりひとりがこの言葉を胸にすれば 復興の為に助け合い、力を発揮することができます。
 なんとなく嬉しい気分になって、夕食(電気の止まった冷蔵庫に余っていた 食材を、カセットコンロで調理した豚汁)のあと、自家発電で電気を点けて いる銀行のATMコーナーまで出かけ、知り合いの方々に自分の無事を 知らせる連絡の葉書を書きました。まだまだ生きている。まだわっしゃ 生きとるどー!

 葉書をそのままポストに投函したその足で、ほとんどの街灯が消えた 夜の街を散策していたら…あ、あの見慣れた、夜の闇に燦然と輝く 看板のサインは…、


まぶしいぜちくしょー!

(わたなべメモ)
「夜、銀行でハガキ書き。帰り、セブンイレブン開店目撃!」「ラーメン× 12、オニギリ×9、水×5、カセットボンベ×2、電池単2×6、単3 ×12、ラジオ用箱電池×1」

 逞しい! 町が震災による崩壊の危機に陥ろうと、復興の旗日を切るのは 強靭なまでの商魂でした! とにかく歩きの身というのもあるので、 両手で持てるだけの買い物をしてまっすぐ帰宅です。もう判りました。 たとえハルマゲドンの後だろうと、生き残るのはチェーン持ったモヒカン頭の 悪党なんかでなく商人です!
 ともあれ明日への糧を手に入れ、帰宅すると母親が片付けていた 事務所から、ポケットテレビを見つけていました。ついでに玄関に近い部屋も 片付いたので、とりあえずファーストクラス症候群を避けて、今日から 家の中で就寝です。

(わたなべメモ)
「「報道ステーション」にて古舘が小千谷に来てるのを確認。有名人が観光 気分で来てんじゃねえ! マジ腹立つ」

 地元テレビ局のレポーターが充分できる仕事に、大して復興のための 助力も出来ない番組司会者がナニ考えているんでしょう? 元々 朝日系列キライだったのがますます嫌いになってしまったところで今日は おやすみ。


4日目…10月26日(火)


朝のコンビニ

(この日のわたなべメモ)
「朝、オニギリ(コンビニ)、パン(救援物資)、牛乳」
「朝より市内散策(情報収集)」「情報収集中トラップアウト。針金に 引っかかりパンク、貴重なチャリロスト」
「幼稚園にてバザー品パンツGET!」

 ハイこの日も朝から忙しく走り回っております。しかし、修理屋がまだ 再開してない時点でチャリがパンクしたのは痛かった…。
 ともかくこの日も、家族用の生活物資をどうにか手に入れ、それから 1時間遅れで出勤です。

(わたなべメモ)
「職場にて初めて仮設トイレ使用、意外に快適♪」
「便所は地震にゃ強いんじゃ!」

 感動のあまり「極道兵器」ごっこをしてますな。とにかく工事現場とかで よく見かけていた電話ボックスサイズの仮設トイレって、割と空調も効いてる し、用を足した後水じゃなくて洗浄液が流れるため、 きちんと使えば意外に清潔なんですな。なんか妙なところで 感動してしまいましたが。

 さて、この日は震災から4日目にして、やっとのことで小泉純ちゃんが 視察に訪れる日。他の運送会社に先んじて、被災市民のために通信、荷物の 配送を請け負ううちの職場にねぎらいの言葉ひとつなく、テレビカメラが 常時設置されているところだけ選んで見て回っているようであります。 もちろん、被災市民のひとりとして、 震度6って第一報を受けて、それから1時間平然と映画見てた ということへの恨みは生涯忘れません。

(わたなべメモ)
「昼、わっしの仕事中兄のケータイ故障。慌てて長岡でカメラ付きケータイ 購入」
「純ちゃん、わっしんちの前に車を止め、富ノ湯(潰れたフロ屋)、慈眼寺 巡視。 テロりたかった
「兄がNEWケータイで真っ先に撮ったとのこと。後で画像を吸い出し、 HPに載っけてさんざコケにするハイ決定」

  使用に耐える画像でなかったことをあらかじめお断りしておきます。
 ペイントで頭のてっぺんにチューリップ咲かせたりハナ毛伸ばしたり グルグルほっぺにしたりウンコ踏ませたりとイロイロやりたかったのに (小学生かよ!)。


住宅安全確認

(わたなべメモ)
「昼に住宅の検査。緑、黄、赤の張り紙のうち自分の家は緑。安全に 暮らせるとのこと」

 そういうことで、被災地の家を一軒一軒見て回りその安全を確認する 検査の人間が本日自分ん家を見て行ったのですが、幸いというか どうやら無事に暮らせる模様。もちろん、余震も連日続きまた強い地震が 起こるかも知れないという環境においては、家の入り口に近い部屋で、当分 家族三人集まって寝泊りしなければなりませんが。

 さて本日夜、最大のイベントが待ち受けておりました。

(わたなべメモ)
「夜9:20頃、 電気復活!
「とりあえず魔窟(自分の部屋)侵入。バソコン健在確認。心配して 掲示板にカキコまたは安否確認のメールを送ってくださった皆様にできる 限り返信。どうもご心配おかけしました」


5日目…10月27日(水)


近所のでかい避難所、小千谷小学校。

(この日のわたなべメモ)
「朝食、雑炊。被災者生活初ヒゲソリ(シェーバーが使えるようになった)」
「電気があるというだけで、非常に爽やかな夜明け。どんなことが起きようと かならず朝は来るのだ」

 さて、ここでなんとなく(脳内で)口ずさんだ歌、

  『家族計画(D.O)』 オープニングテーマ
 『同じ空の下で』

 作詞/モモ、高瀬一矢
 作曲/高瀬一矢
 歌/KOTOKO

 ダウンロード kazoku_op.lzh(2.5MB)

 ハイ普通にいい曲というか、非常に爽やかな曲です。ゲームのほう も、遊んだ人間として素直にお勧めします。たぶんこういう時 もの凄く「頑張る」という気持ちが湧いてくる作品。

(わたなべメモ)
「10:40 でっけー余震。職員全員仕事場脱出。停電とりあえずなしで OK」

 …いえ、電気が点けば良かったって話じゃないんですけどね。


いやぁぁぁぁぁっっっ!!

(わたなべメモ)
「昨日まで少しずつながら片付けた部屋、元のもくあみ」

 誰かわっしの部屋を助けてください!

 さて、ここでメモに問題提起くさいこと書き残してました。

(わたなべメモ)
「配達する支援物資を(市役所から「そっちに持ってってくれ」という 指示を受けて)市の車両センターへ。しかしそこすら置き場所がなくなり、 結局本日中に全部配送できず、ひと晩配達用の車に積みっぱなし…」
「余ってる! 支援物資は余りまくってる!(特に衣類) お前らいらん 物の処理先に支援物資の美辞麗句を使うのはやめれ! 送るんならカネ 送れ!」

 単なる仕事上のグチですな。ただ、この日の時点で、町中に置き場所が ないぐらい支援物資が余っていたのは隠しようのない目撃した事実…。 モノはある程度数は揃う。モノが揃ってる上で何が必要か? 生活再建の ための「お金」というのは決して過言ではないです。幸いうちは家族揃って 避難所の世話にもならず自宅で寝泊りできます。しかし、今回の地震で 家が潰れた人、家に住めなくなった人、商売をやめるしかなくなった人、 生活再見の目処が立たなくなった人を実際目の当たりにもしています。

 送られた物資で食いつなぐこと、寒さに備えることは出来ても「自力で の生活手段を取り戻すための支援」がどれだけ成されるのか? ぶっちゃけ うちだって商売に必要な大型冷蔵庫など 数十万円単位の被害は被ってます。復興支援というのは、食い物や 古着を送りつけるのはまず先頭として、そのあときちんと被災者の生活を 立て直してこそ成されるものと思いたいです。 誰だって好きこのんで被災者になった訳じゃないんだから

(わたなべメモ)
「部屋の整理、とにかく本だろうがビデオだろうが縛って積むことにする」
「浦柄にて生き埋めの子供救出」

 …あの現場、自分が仕事帰りとか長岡遊びに行くときの、バスの通る ルートだよ…。


6日目…10月28日(木)

(わたなべメモ)
「食事、仕事などもだいぶ落ち着いてくる。」「ただし相変わらず 水とガスはまだ」

 そういうことで、飲み水及び料理用の水は支援物資のペットボトル入り ミネラルウォーター、その他の生活用水は近所の方が開けてくれた井戸水を バケツに汲んでくるという生活が続いております。洗濯なんかに回す余裕も ないので、とりあえずパンツは支援物資の古着を着替えて、仕事も 私服でこなすという生活。

(わたなべメモ)
「昨日救出された生き埋めの子供、母親が入院していた赤十字病院へ」
「なんだかなあ。富ノ湯(潰れたフロ屋)といい浦柄(土砂崩れ現場)と いい赤十字病院といい、自分の行動圏がどんどん日本中で有名になっていく」

 ちなみに赤十字病院というのは、テレビに映ったイメージ通り、 設備も充実したかなり立派な病院です。時たま地元の小学校のコーラス部 が、入院患者の皆さんのために合唱コンサートに訪れたりします。ただし わっしは忘れません。去年、親が救急車でここに担ぎこまれたとき、 救急車で急患が担ぎこまれるのなんか始めて見たのであろうコーラス部の 小学生どもが、 一部始終をニヤニヤ笑いながら見ていやがったことを (家族としてはマジ必死だったんだよ! ああ…わっしはなんであの時、 小学生の襟首つかんで、 「なにニヤニヤしてやがるこのガキ!」と小学生を殴って おかなかったんだろう…/後悔)。

(わたなべメモ)
「仕事帰り、ぶらりと散歩。TUYAYAとケーズデンキ(電気製品大型量販店) の開店準備は進んでいる。なんじゃ村(地元の百円ショップチェーン店)は 開店した」

   

 被災後初めて、百円ショップで買った商品。コーヒーの缶はちょっとだけ ヘコんでましたです。

(わたなべメモ)
「消防署前のセブンイレブンで、いつもの仕事帰りと同様に「カバチタレ」 を立ち読み、肉まんを買う」
「戻っている。いつもの生活は徐々に戻っている」
「セブンイレブンの駐車場に自衛隊の車が止まり、自衛隊員が雑誌を 立ち読みしてる。押井守あたりが喜びそうな日常ではあるが」


わっしの地元をどうぞよろしくお願いします。

「クレヨンしんちゃん」の映画でも、春日部に迫る巨大機械獣を迎え撃つ 自衛隊が大挙してコンビニに買い物に押し寄せるシーンがあったっけ(笑)。 なんとなく自衛隊員の皆さんにものすごーく親近感持ったですよわっしは。

(わたなべメモ)
「昼間、テレ東がうちに取材に来たらしい」

 親がかなり自慢げに話してましたが、そもそもうちの地元では放送 されません。(もし放送されてたとして、見た人、います?)


7日目…10月29日(金)

   

(わたなべメモ)
「この秋一番の冷え込み」「今日より私服でなくワイシャツ出勤に 切り替えることにする」
「母親『帰りにウェットティッシュ買ってきて』。調子出てきたじゃねえか」
「ウェットティッシュは職場への支援物資をチョロまかした」

 わっしも調子出てきて書いてるなあ…一応きちんと「コレもらって いきまーす」と許可は取ったんですよ! ホント。

(わたなべメモ)
「修理の終わったフロ、溜めた水で入る」

 ハイ被災後初フロです。ちなみにウチの風呂は電気循環式なので、 ガスが復旧してなくても風呂桶に水さえ入っていれば沸かせる訳です。 風呂が骨身に沁みるというのはこういう感覚か。ちょっと感慨深く じっくり風呂に浸かりましたです。

 さて、この一週間で印象的だったことは、なんてっても…「朝は毎日 必ず来る」ということ。まさか人生で自身の身に降りかかるとは思いも よらなかった震災。それでも、この一週間の間に、朝が来るたび必ず 地元の何処かは地震から立ち直り始め、ある場所では家の片付けを始め、 ある場所では商売を再開し、ある場所では震災に巻き込まれても力強く 自分の生を声高に張り上げています。もちろん、震災のために家に 帰ることもままならず、未だに避難所で暮らさなければならない人々は、 この一週間の時点で小千谷市全市民の四分の三に上ります。自分の 住む家と、自分自身を取り巻く半径数メートルの環境は、 本当にただ恵まれていただけです。同じく震災に巻き込まれた 方々の気持ちが、なんだか後ろ暗く感じるほどに。

 もちろん、被災者の端くれとして震災当初の数日を、家族が生きるために 必死に市内の情報、 食い物を求めて走り回ったこと。また微力ながらも、自身の仕事を通して僅か でも、被災された方の 生活支援の一端を担うこととなる仕事が出来たこと。ある意味自己救済 的な発言なのは認めるところながら、そんな自分自身の行動を否定する つもりはありません。

(わたなべメモ、最終行)
「今日現在、なおガス、水道とも復旧せず。今も市民の四分の三が 避難所暮らし」

 …そして、この記録をまとめている11月に入ってからも、断続的に そこそこ大きな余震はずっと続いています。うちもやっと家の中が片付いた からといって、家族全員個々の部屋に戻ることなく、玄関から近い部屋で 三人で寝ている毎日が続いています(真夜中に容赦なく震度3や4の 余震が来たりするせいで、親は最近マジ不眠症気味)。
 今回、震災に際しひたすら箇条書きで書き溜めたメモをこうして コンテンツとして発表するのは、イヤラシイことを言えば単なる 当事者として話題に乗っかったにぎやかし です。でも多少は、この震災に際し非常に運の良い環境に いることができたという(イヤラシイ)立場からの視点で、震災の中心から 被災地の様を見つめてみたというつもりでもあります。

 わが生誕の地にして長年過ごしてきた土地(5年ほど仕事で長野にいた けど)は、奇しくも今この時期のみ、世界の中心的に注目を集める土地と なっております。そして今後復興に向け、建て直さなければならない家は どんどん 姿を消していくでしょうし、実際自分の家の両隣、そして向かいの家数件は 建て直しあるいは取り壊すことを決めています。本日冒頭の二枚の画像は、 自宅の前からそれぞれ東西の光景を収めたもの。この光景は自分が ガキの頃から、そうそう大きく変化することなくあたりまえにあった 風景です。そしてたぶん、この光景はこれから大きく変貌していきます。 こんな台詞は月並みながら、少年時代の感慨を、新たに生きていくために 塗り潰す形で。

 またゲーム主題歌ネタながら、ここでまたふと脳内で口ずさむのが 「CROSS†CHANNEL(KID/FlyingShine)」 主題歌「CROSSING」。ゲームの内容を反映したような虚無的な歌詞が 廃墟の光景に良く似合うという、あんまり縁起はよろしくない歌なんですが、 歌詞の一節に

「この空がなくなるその日までは生きていこう」

というのがあります。ある意味絶望的な一節ながら、それでも明日に 進むしかないという、今の自身の気分には不思議とマッチしている 一曲です。
 部屋からコレを落としたMDおよびMDプレーヤーを発掘してからは、 コレを 繰り返しながら黙々と部屋の片付け作業を続ける自分がいるです。

(2004年11月9日、やっと本来使用のメガネを部屋から発見した日に)


震災の記録を綴ったわたなべメモ。2冊で百円だった。


豪雪地帯酒店・第二事業部はものをつくりたいすべての人々とともに、
地元で復興に汗するすべての皆さんを応援します。

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